いじめの根本対処は、人間性の涵養に向かわねば -
日下和信
2017/08/27(Sun) 11:18:12
教育界は、「人間性を高める」という理念を取り戻せ
またまた無責任というか、教師失格の教師が出た。自分の担任する子供に、三階の校舎から飛び降りろと言い、しかも明日から来なくて良いと申し渡したという。
いじめがこれほど話題に登り、前途洋々のはずの子供が自ら命を絶っていく。こんな教育界の様子を知らないはずのない40代の教師が、よくもまあ自分の担任する子供にこんな言葉が掛けられたものだ。
教育とは、人を育てることが仕事ではないのか。なんと、本来と逆行することの多い今の教育界であろう。元教師として断腸の思いである。
今日本の教育界は、多面的に問題を持ちすぎている。一挙に解決が付くとは思えない。着実に一つずつ解決していかない限り正常化は果たせない。
しかるに、今の行き方は、問題を隠そうとばかり対応している。追求されて、明らかになるにつれて、弁明が変わって行き、最後は謝罪する。しかし、心からの謝罪とは感じられない。問題を隠蔽し、問題解決から逃げているだけではないか。このやり方を続ける限り、失策をした教師は、反省するどころか、守ってもらえると勘違いを続けるのではないか。
この対応は、間違っている。教育の再生のためにも、いい加減に「正しい方向で問題解決に」乗り出さないといけない。その基本的「問題対処の方法」は、問題解決に「理念を持つ」ということだ。理念なき対応は、根本的解決に導かないからだ。今の教育界に必要なものは、この方向性と理念なのだ。
解決のための大事な理念、スローガンは、「人間性を高める」ということである。
いじめは、「問題対処のテクニックで問題解決出来るものではない」。手続や努力目標を掲げても、“心が伴わなければ”真摯に実行しようとしない。心ここに在らずだからである。そこで忘れている心こそが「人間性を高める」ということなのである。
教育は、本来的に人間性を高めることが努めであり、始めから終わりまで、「人間性を高める」ということで完結しないといけない。この理念を忠実に守り、対処していれば、間違った対処をすることがない。それが解らないのが、今の教育界のようなのだ。
だから、いじめに関する関係者のコメントの中に「人間性」という単語が含まれることが殆どない。「人間性」を根本理念に持たない教育は、本来的に教育の機能を果たせない。そのことを改めて理解し直さないといけない。「人間性」は、その実体が抽象的にしか理解されておらず、教育界に於いても一般社会と似たり寄ったりの現状である。
「人間性」は、その対語である「動物性」と対比すると解りやすい。動物性は、ストレートに言うと、「強いもの勝ち」を意味する。野生の世界、そして、人間界にあっても競争世界では、動物性の世界になっている。「人間性」は、その反対だ。「弱い人も守って行く」、これが基本だ。赤ん坊の時、年老いて自分で自分のことが出来ない時、病気・ケガで動けない時、その時、弱い人を守り、また元気になるようにサポートすることが、麗しき「人間性」なのである。
担任する生徒に、飛び降りろという、明日から来るなと言う、如何に心ない一言であることか。
日下教育研究所 所長 日下和信